2013年07月30日
若獅子神社

日中の暑い中、外回りのついでにふと思い出し寄ってきました。
68年程前、この地富士宮市上井出に「陸軍少年戦車兵学校」がありました。
雄大な富士山の麓におよそ30万坪の敷地を有し、少年兵が日々ここで学び・
訓練し、戦地に赴いていったのです。この神社は大東亜戦争において殉じた陸軍
少年戦車兵の教官・生徒六百有余の御霊を御祭神として創建されました。
私が幼い頃神社であった記憶は無く、調べたら昭和59年の創建でありますね。
その前から、この帰還戦車は見ておりましたので、その場所がいかなる存在だ
ったかはおぼろげながら覚えております。
やれ暑いだの、大変だの、辛いだの、そんな言葉は、この地でましてや英霊の
前において一切出てくるはずも無く、ただただ、日ごろの不甲斐無さを詫びる
のみです。

詳しい事は、こちらのHPを見てもらったほうがわかりやすいですね。
http://www.wakajishi.jp/index.html




戦車は特別として、入り口にある門だけが当時の形を残しているような気がし
ます。それでもこの辺一帯も、だいぶ景色は変わってしまったであろうけれど、
区画は当時の面影を残しているし、西側にある静岡富士病院(国立病院とこの
辺では今でも言っているのか?)は、当時あった陸軍病院が前身でありますか
ら、まったく跡形も無いというわけでは無いかもしれません。その後のエピ
ソードについていろんな話は聞きますが、自分が勉強不足のためにまだまだ理
解が足りません。しかし、この地も富士山の構成遺産ではないにしろ、もっと
その名を知ってもらっていいはずだと私は思います。


Posted by スポット屋 taka at 16:39│Comments(0)
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