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2013年04月22日

西洋文化がすばらしいのか?

 ボストンの事件だが、今のところ米国籍のチェチェン人による犯行という事になっている。当初は、オバマ大統領が黒人である事に対しての、白人至上主義者の犯行ではないか?などと、推測もされたわけであるが、根っこのところは実は繋がっているのではないかと自分は思うのである。事件が起きた日が、独立戦争開始の記念日「ペイトリオッツ・デイ(愛国者の日)」であることからも、白人至上主義者の事件と推測され、結果的にはイスラム教徒の反抗ということになっていますが、根深いところの、人種差別や異宗教への偏見が見受けられるのであります。

 我々日本人は?欧米人に言わせると単なるイエローモンキーという事になろうが、翻って我々の立場から、彼らの歴史を客観的に見れば、中世に於いて、ペストの大流行により多数の人間が死に追いやられたように、衛生観念的なかけらも当時はなく、糞尿は道にばら撒く、風呂へは入らないなどと日本人の中世から言っても、はるかに遅れていたのは事実でしょうし、失笑に値する。ハイヒールが道端の糞(人・動物)を踏まない為にできたこともそうだし、香水は、体臭を隠すものであった歴史からみれば明らかだ。それが今では、ファッションの代名詞みたいな高貴なもののように扱われているのが、その事実を知るものとして、かなりの違和感を感ずる。

 それを踏まえて、会田雄次の「アーロン収容所」を一読願いたい。そこに出てくる一節のとある場面に、捕虜となった日本の将校が、「日本が戦争を起こしたのは申し訳ないことであった。これからは仲良くしたい」という意味のことを言ったら、それを聞いた英軍中尉は烈火のごとく怒りこう答えた。
「君たちは奴隷(スレイブ)か。奴隷だったのか」
<以下、原文まま>
「われわれはわれわれの祖国の行動を正しいと思って戦った。君たちも自分の国を正しいと思って戦ったのだろう。負けたらすぐ悪かったと本当に思うほどにその信念は頼りなかったのか。それともただ主人の命令だったから悪いと知りつつ戦ったのか。負けたらすぐ勝者の機嫌をとるのか。そういう人は奴隷であってサムライではない。われわれは多くの戦友をこのビルマ戦線で失った。私はかれらが奴隷と戦って死んだと思いたくはない。私たちは日本のサムライと戦って勝ったことを誇りとしているのだ。そういう情けないことは言ってくれるな」

上記のような、そんな欧米人にそこまで媚を売る必要があったのだろうか?が、しかし、それこそが今の日本人の姿なのではないでしょうか?


そして今の日本の状況だ。日経の記事に出ていた日産自動車・カルロス・ゴーンの記事には虫唾が走る。

http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK1903Y_Z10C13A4000000/?dg=1

日産からは既にサムライは消えうせたようである。いやまだいるかもしれない・・・淡い期待もなくはないが、やれグローバルだなんだ、散々あおるマスコミや評論家、そして政治家・役人共も同じ穴の狢・・・世界(中・韓も含む)のスレイブに成り果てているのがこの国の現状。

このままでは、ご先祖さんたちに申し訳ない。軍備・防衛は外敵への対応になる。無論これも大事。でも、武力による侵略により支配・収奪するのではなく、経済・情報・為替・歴史等の操作による侵略の方がもっとたちが悪い、一見、美辞麗句を装い欺瞞を覆い隠し、気づかないうちに洗脳し、支配・収奪されるからだ。それに協力し乗っかる日本人も同罪だ、戦前の東南アジアにおける欧米の植民地政策の華僑みたいなもんだ。

さて、いまのわれわれに出来る事。日本文化の再確認と世界と日本の差別化だ。ナショナルな人間でなくて、どうしてインターナショナルが語れるのか・・・・

そんな中、私に出来る事も可能なことはやっていくつもりだ。それは・・・・

先日発注した特注の作務衣が仕上がってきました。これを着ながら思いに耽り国を憂うのである。



あえて、ここまで話を持ってくるのに、かなり話をこじつけましたが、実際着てみるとこんな快適な装いはないですよ(笑)是非一度、大人の嗜みとしていかがでしょうか?



河村呉服店にて http://kimonokawamura.i-ra.jp/

  


Posted by スポット屋 taka at 15:58 Comments( 0 ) つぶやき

2013年04月18日

気づき

 最近、ネットでの情報や報道のあり方をいろんな角度で見ていると、真実は何だろうと疑問に思えてくる。起きている事実は一つにしても、そこに恣意的感情や思想、誘導的情報操作、悪意に満ちた虚飾やまるっきり正反対にしか受け取れないものまである。

 例をあげればきりがないが、例えば、現政権の事についてもいろんな誹謗中傷から過度な礼讚まで、幅広い情報が散見される。

 その洪水のように溢れ出す情報の中から、真実を探し出すのはもはや超能力を使わなければわからないレベルなのかもしれません。

 まったくをもって、真実を探し出すのが大変な時代ですが、様々な出来事を時には表から、また時には裏側から、また時には斜めから、いろんな方面から眺めなければならないことと、それに”気づく”感性が必要でもある。

 だいぶ、生きずらい世の中になっちまったな~と、嘆いていてもしょうがないので、自分もいろんな”気づき”を求めて、日々の出来事を観察し、人を眺め、例えば道端の草花を見てさえ、何かを学べるか。それが自分の人生にどう活かせるか・・・





 正直、この写真をアップするいいわけには長すぎるようだ。

 くれぐれも、お前暇だろ??的な誹謗中傷はご遠慮くださいm(_ _)m   


Posted by スポット屋 taka at 11:45 Comments( 0 ) つぶやき

2013年04月08日

御釈迦さんの誕生日

今日、4月8日はお釈迦様の誕生日であり、わが娘(次女)の誕生日でもある。



早いものでこの世に生を受けて13年の月日が流れた。当時は、まだ賃貸アパート住まいであったので、長女と、生まれてきた次女は最初は嫁さんと一緒にアパートで暮らしていた。別にそれをどうこう言うわけではないが、やはり環境というもののせいだろうか、次女にはかなりてこずった。ききわけが無く、気難しい気質が見え隠れし、うちの嫁が鬱になりかけるくらいだった。実家の母がかなりその事を気にしていて、次女の行く末を案じ、近くに住んだらどうかと勧めたのがきっかけで、現在の家屋を両親と同じ敷地内に建てることを決意したのです。

結論から言うと、子供も嫁もやはり良い意味での”逃げ場”が必要であったようで、娘たちも暇があれば、ドアを開ければ祖父・祖母の家がある関係上、何かといえばそちらの方に行っては、菓子を食っただの買い物を一緒に行っただのと、特に祖母と触れ合う機会が多かったからかどうなのかわからないが、普通の子供らしく明るく育ってくれたのだと思う。

持ち家に引っ越してからの次女は、人が変わったように明るくなり、元気に過ごしている。これは間違いなく、家族の絆のお蔭以外の何ものでもないのだと思う。

だからといって、人様々ライフスタイルがあるとおもうので、一概にこれだとは言えませんが、日本人が忘れかけている何かのヒントがあるのではないかと思う。

それにしても、次女が生まれてきたときは、長女を実家に預け身重のよめと蕎麦屋でそばを食べているときに嫁が産気づき、助産院に駆け込んだらすぐに生まれてしまったほどあっけなかったが、今でも子供3人のうちでも病気もせず、一際体もでかく、活発であるかな(笑)今は・・・ 



実は、本日は月曜日。自分も夜の用事がありお祝いが出来ないという事で、昨晩に”老舗・藤太郎本店”の特注ケーキを頂きながら、お祝いは済ませた次第です。

いずれにせよ、御釈迦さんと同じ誕生日・・・何たる奇遇というものか(笑)

  


Posted by スポット屋 taka at 16:55 Comments( 0 ) つぶやき

2013年04月06日

のらくろ

今日は、大変世話になっている先輩のブログを拝見して感じた事を書いてみる。

http://makotoplan.eshizuoka.jp/e1032475.html

ブログの内容は、その先輩が、コンサルタントの仕事のため某企業の新入社員研修に講師として参加しているのですが、そこには中国人・ブラジル人の研修生もかなりの数が参加しているし、部屋の表示が、英語・日本語・ハングル??この辺で、かなりきな臭いのですが、そこで事件が発生。傘たてから自分の傘がなくなったという事である・・・読んでいただいた方が早いかもしれませんが、要は先輩は自分の周りの日本人で、他人の傘を平気で持ち去る人間を良く知らないということ、この研修生の構成からくる何かに疑念を持っているということである。

何を言いたいのかはお解かりですよね。

自分は、すぐにこの漫画が頭に浮かびました。



そう”のらくろ”です。

台湾関連の書籍を読んでいた際に知る事となったのですが、「犬が去って、豚が来た」という言葉を思い出しました。知っている人も結構多いと思いますが、大東亜戦争敗戦後の台湾に於いて、日本の統治が終わり、共産党との争いに敗れた国民党・蒋介石による中国統治をこのように喩えとして表現している。「犬(日本人)は吠える代わりに守ってもくれるが、豚(中国人)は食い荒らすだけ」ということらしいです。「日本の統治は規則規則と警察官とかうるさかったが治安や汚職はなく 中国人統治は汚職ばかりで治安も悪くなった」ということを 戦後しばらくして起きた228事件の頃の世相をよく反映した言葉だそうだ。それが、のらくろから来ているというのを、その時初めて知った。

ここで、引用される”のらくろ”なんですが、1968年生まれの自分でも記憶にあるくらい結構戦後世代でも知っている人が多いと思います。実は戦前の1931年から連載漫画としてスタートしているのですが、当時の満州事変・支那事変が勃発した当時の世相がおおいに反映されているのだと思います。

それにしても、中国人の秩序の無さを上手く表現しているとおもいませんか?本当の豚は綺麗好きなんだ!という事は別にして、世間一般の認識とはそんなにかけ離れたものではないと思います。今更言うまでもないですが、大気の問題・水の問題・鳥インフルエンザの問題と、不衛生極まりない環境が発端となっていると思われる問題で騒がしいですが、この民俗にしてこの環境で、環境(地政学上・歴史上の問題も含む)が民俗にもたらす悪影響を実に如実に表現していますね。

別に犯人を決め付けているわけではないですが、概ね想像できますよね(笑)

その昔、”瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず”という言葉を、中学の先生に教わりました。「人に疑われるような行いはしてはいけない」という戒めの言葉ですが、どこぞの国の言葉なんでしょうかね(笑)   


Posted by スポット屋 taka at 16:52 Comments( 0 ) つぶやき

2013年04月05日

価格競争力??



 まず、この書類を見て皆様はどの様に捉えますか?
毎年、さも当たり前の様にこのような通知がこの時期になると舞い込んできます。
私は、こういう性分なのではっきり”無理!”と、言ってしまうのですが、いざ相手の立場になると、少しやりきれない思いに苛まれます。
 なぜか?・・それは、言ってきた相手も実は上からの圧力で同じ・・・いや、それ以上の要求を突きつけられているからです。自動車業界は、ご存知の通りのピラミッド型をしています。カーメーカーが頂点にあり、今の言葉で言えば”サプライヤー”が下方に幾層にも連なっている構造である。故に、この文章は上から水がこぼれるがごとく落ちて行き、最終的には我々の方まで到達するのである。不思議なもので、この要求はどのカーメーカーも同様で、あるところに限定した話ではない。
 発信もとはただ下命(厳命)すれば良いわけだが、問題はその下だろう。正直、体力のある一次サプライヤーは、海外からの利益もあり、あまり影響はないと思うし、それ以上に下層に振りまく管理費の幅をそのままか極小にし、同じ事を二次・三次に下命すれば良いだけの事だからだ。この文章は当社の上からのものだが、おそらくこれも、上から流れてきたものの焼き直しに過ぎないだろう。
 ”勝ち組”とか、”価格競争力”という、一見ビジネスをしてる上で格好良い言葉ですが、実際はそんな事を行ってる時点で、”僕らは窮久だ~!!”と吐露しているに等しい。
 仕事は、やらせていただくものであり、逆を言えば”やってもらうもの”ともいえる。僕らの立場でどうのこうの言うのもおこがましいが、あるいみ”やってやってる”ともいえる。今の現状を上層はどう思っているのか知れないが、下層の我々の想いとはかなりのギャップがあるのではなかろうか?これ以上言うと、本当に自分が暗くなってきますが、現状をただ述べたまでであります。
 ここのところの円安・株高で、大企業においてはいろいろ愉快な話が舞い込んでいることだろう。それでいてのこの書類なので、尚更今まで以上にこみ上げてくるものがある。実際の自動車業界は完全にグローバル経済に飲み込まれ、今では死に絶えようとしている新自由主義という言葉に手足を縛られているようにも見えるが・・・おそらく”共存・共栄”なんて言葉は彼らの辞書のなかから消え去って久しいのだろう。

さて、そういう自分はアベノミクスを支持する立場でいる。デフレからは早く脱却しなければならないと思うし、なにより活気づいた世の中であるべきだと思う。
問題は、かりにそうなったとして、その利益は国民すべてが享受すべきだ。一部のエスタブリッシュメントのためだけの日本ではあるまい。社会主義ともとられかねない言い方になりますが、正直な今の思いであります。リフレ推進のもとではあるが、かたやさらなる加工単価の引き下げとは、諧謔なの?としか思えませんが、この現実の改善も政の仕事であると私は思う。

我が社の課題は、言うまでも無くこの桎梏から抜け出す事であり、価格競争力云々・・・なんて言葉とは無縁のフィールドで勝負できるように、いち早く舵を切ることだと思う。
  


Posted by スポット屋 taka at 16:24 Comments( 0 ) つぶやき