2012年12月06日
「雑魚」
今日は、数年前、お世話になっている同友会の大先輩から、”俺の好きな言葉だ”と教えていただいた名言について、語ろうと思います。
浅薄な教養しか持ち合わせない小生としましては、当時なんのことやら?と思っていたのですが、よくよく調べると、なるほど!!と唸ってしまった覚えがある。
それは・・・
波騒(なみざい)は世の常である
波にまかせて 泳ぎ上手に 雑魚は歌い 雑魚は踊る
けれど誰か知ろう 百尺下の水の心を 水の深さを
でありますが、ご存知の吉川英治作「宮本武蔵」の最後の部分であります。
小次郎の生存を確かめ、そのまま、海に向かって立ち去った武蔵を
「弱虫だ」「卑怯者だ」「武士の作法も知らぬ」とただ憶測のみで吹聴する世人を
「雑魚」に例えた言葉である。
この、憶測のみで吹聴する世人・・・・なにか、今のマスコミ・大衆そのもののような気がします。
波の表面は荒れ狂っていても、その下の深い深い所はどうなっているのか・・・・その深いところを探ろうともしない。
つまり、私も含めてですが、「雑魚」のような人間が、この世にどれだけ蔓延っているのか・・・
その先輩は、確か・・・”いろんな奴がいろん事を言うけれど、事の真相は自分で見抜く眼力を持たなければ駄目だよ”と言っていたと記憶しております。
正直、その先輩とは思想的な部分では相容れないところがあるかもしれません。
でも、自分はすごく尊敬しているし、こんな嗜み・生き方に憧れを抱きます。
下は、その先輩の会社に飾ってある、直筆の色紙なのでありますが、今見ても格好いいと思えてなりません。

私も「雑魚」だなと思うのは、まだ「宮本武蔵」読んでないんであります。掻い摘んだ情報だけでこんな事を言うのはまったく軽薄なんですよね。
これを機会に、正月には絶対読みたいと思います。
浅薄な教養しか持ち合わせない小生としましては、当時なんのことやら?と思っていたのですが、よくよく調べると、なるほど!!と唸ってしまった覚えがある。
それは・・・
波騒(なみざい)は世の常である
波にまかせて 泳ぎ上手に 雑魚は歌い 雑魚は踊る
けれど誰か知ろう 百尺下の水の心を 水の深さを
でありますが、ご存知の吉川英治作「宮本武蔵」の最後の部分であります。
小次郎の生存を確かめ、そのまま、海に向かって立ち去った武蔵を
「弱虫だ」「卑怯者だ」「武士の作法も知らぬ」とただ憶測のみで吹聴する世人を
「雑魚」に例えた言葉である。
この、憶測のみで吹聴する世人・・・・なにか、今のマスコミ・大衆そのもののような気がします。
波の表面は荒れ狂っていても、その下の深い深い所はどうなっているのか・・・・その深いところを探ろうともしない。
つまり、私も含めてですが、「雑魚」のような人間が、この世にどれだけ蔓延っているのか・・・
その先輩は、確か・・・”いろんな奴がいろん事を言うけれど、事の真相は自分で見抜く眼力を持たなければ駄目だよ”と言っていたと記憶しております。
正直、その先輩とは思想的な部分では相容れないところがあるかもしれません。
でも、自分はすごく尊敬しているし、こんな嗜み・生き方に憧れを抱きます。
下は、その先輩の会社に飾ってある、直筆の色紙なのでありますが、今見ても格好いいと思えてなりません。
私も「雑魚」だなと思うのは、まだ「宮本武蔵」読んでないんであります。掻い摘んだ情報だけでこんな事を言うのはまったく軽薄なんですよね。
これを機会に、正月には絶対読みたいと思います。
Posted by スポット屋 taka at 10:30│Comments(0)
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